46年

2017.06.07 (Wed)





「非公然」


名詞として扱うと
「中核派」「革マル派」「赤軍派」....
そういう非公然活動の団体、人を
指すこともあるらしい。

昭和30年代に生まれ、
新聞販売店に育った私は
好奇心にあふれた多感な時期に
新聞の一面を飾っていた
これらの組織の略称名詞を
よく覚えている。

「中核派」という組織が
起こした事件の
主犯格とおぼしき人物が逮捕された。

46年間
お尋ね者のポスターに写真が掲載され
賞金もかけられていた人だ。

極左といわれる
この組織の思想も活動方針にも
興味はない。
もちろん
活動に参加したことがあるわけでもない。

ただ
46年を
長い時間だと思った。





私の読書対象が
おとぎ話から現代私小説文学に
大きく舵を切ったのは
小学6年生の時だ。

当たり前のように
学生運動に傾倒し
ヘルメットと覆面の三角巾をして
ゲバ棒を振り回しているかと思えば
純喫茶の窓辺の席で
ボードレールの詩集を読んでいる女学生に
ココロ惹かれていたりする
そんな主人公たちの
眩しい青春の日々が繰り広げられる
現代私小説の世界。

その
何かに抵抗するように生きる
エネルギッシュさと
自由な時間を贅沢に持っているのに
金銭的には貧乏な
「大学生」という あいまいな時間と
その背景となっている東京という街に
漠然と憧れる少女だった。

自分も19歳になったら
東京の片隅の安アパートに棲む
貧乏大学生になって
学生運動をしているのだと
思っていた。

だが
実際に19歳の私は
東京には行けず、
京都の学生になった。

学生運動家たちの抵抗するものは
すでに国のあり方や社会の思想ではなく
学費問題や研究費の使途追及などになっていた。
キャンパスの隅っこで
独特な文字で看板を描いているだけの
活動家たちに
魅力を感じることはなかった。





彼ら非公然活動家に
目を光らせているのは「公安」。

「公安」こそが、
非公然な活動と言えるのかもしれない。

こうした非公然活動団体に詳しい協力者や
工作員を潜り込ませる
スパイ活動も含まれていたりするらしい。

「公安」の一員であることは
家族にも知らされない。
家族と写真も撮らない
写真の嫌いな偏屈パパ(ママ)としての人生を送り、
秘密は墓場まで持って行くのだそうだ。

いずれにしても
一つの事件の背後に

息をひそめて逃げ続ける人と
家族にも秘密のまま
隠れた男を追い続け、退職を迎えた人

その両方の
46年分の人生があるということに
言いようのない重みを感じた。








黄色い砂

2017.05.10 (Wed)



黄砂が降っている

小さな海のむこうに
とても大きな大陸があって
そのずっとずっと向こうに
私の住む島よりもおおきな
砂の大地がいくつもあって
一番遠くには
とても大きな
タクラマカン砂漠がある

その遠くい遠い砂の大地から
風に乗って
黄色い砂はやってくる





昨夜
それまでの自分の
仕事も生活も財産もすべて清算して
世界一周の旅に出た
家族の話を聴いてきた


私の人生の中で
後悔していないことのひとつが
会社を辞めたことだ


私の場合、
旅に出るとかいう具体的な目的が
あったわけではない。
やりたいことだけをやる人生を
選択した。
そのためにまず切り捨てたのが
「会社勤め」だった

そうして私は
やりたいことがどんどん増え
やりたいことを全部やるため
今、大変な毎日になっている(笑)


それでも

生きている自分がいる
楽しんでいる毎日がある






ナゼだかわからない

面倒くさいはずの
車の上に降り積もった
黄色い砂を見ていたら

その長い長い旅に
いとおしさを感じていた





4月2日

2017.04.03 (Mon)



絹のベールで重ね着をして 
遠い山の端 霞んで消える

あの日あの道は 桜吹雪で
今日は
雪花 狂い咲く

泣かない日が 増えてゆく





山の彼方の
薄墨の空
朝露の光 
昇って融ける

哀しみの欠片
花びらのように
左耳の奥に
はらはら積もる

泣かない日が 増えてゆく


2_convert_20170403154315.jpg


泣かない日が 増えてゆく


       *H教官へ
       寒い中のドライブ、ありがとうございました。







君が代

2017.03.27 (Mon)




2017年3月26日
大相撲大阪春場所千秋楽

TVの前の私は
表彰式前の「君が代」のシーンで
鳥肌が立ってくのを感じていた。


すり鉢状の客席が
膨れ上がったように見えるほどの満席。
それはいつもの場所とそう変わらない。
しかし、
今までに見たどの場所の千秋楽よりも
大きな音量の大合唱だった。
カラオケのオーケストラ演奏が聞こえなくて
まるで何千人のアカペラ。

たった今、
結界の中の
魂のぶつかり合いに感動し
相撲の神様の奇跡を目の当たりにした
人々の斉唱する声の力が
新横綱の心をも震わせて
涙となった。






この「君が代」を斉唱する映像が
放送されたことについて
(毎回放送されているのだが)
「NHKはおかしい、右翼思想の肩入れをするのか」
とTwitterに書き込まれているのを見た。



私は右翼ではない。
でも「君が代」は歌う。
天皇中心主義を賛美しているとか、
国粋主義者の歌だとか思っていない。
日本国民の愛唱歌だと思っている。
「君が代は」のところは
「私たちの国は」というイメージで歌っている。
それ以上でも以下でもない。

私は仏教徒だ。
一般的な仏教徒の日本人よりも
寺院を訪れる回数も
仏像崇拝する時間も多いと思う。
それでも
「受胎告知」の絵や「ピエタ」の像の前で
なぜだか感動を覚えるし、
クリスマスソングも歌う。

そして何より
八百万の神々も崇めている。
初詣も行くし、
お荒神さんにも恵比寿さんにも
大きなご神木にも手を合わす。

当然、神事としての成り立ちをもち
結界という神聖な土俵の上で行われる
崇高な競技であり、国技である
相撲を
私は敬意をもって観戦している。







そして、その
国技の最終戦のあとに
戦ってきた関取たちと
相撲の神様に感謝しながら
君が代を歌う。

そんな私は、おかしいですか?

そのセレモニーの一部始終を
生中継するしているNHKは
どこがおかしいですか?

日本の国技であり神事である
「相撲」を
見ていた人が
「君が代」を否定するのは
おかしくないのですか?







マクロとミクロ

2017.03.22 (Wed)




六本木に行ってきた。

10:00の開場と同時に

ハルシャに

ココロをすっかり持って行かれた。

これを「イカレタ」というのかもしれない。



ココロの琴線が共鳴しっぱなし。

久しぶりに

意味不明なシナプス信号が

混線模様で。







53階の空にココロは残されていて

都営浅草線のホームまで

深く深く、何度もエスカレーターを降りて

どんどん小さくなっていく私を

俯瞰して見送っているような気がした。








back-to-top