彼岸に 2

2016.09.23 (Fri)




お墓参りのために
義母のもとを訪ねた。

50分の田舎道は
曼珠沙華が競い合うように咲いていた。

誰も来なくなった墓に
通ってくれる人がいる

そういって義母は涙ぐむ。

私はなぜ、義父の墓に向かうのか。
何が私をそうさせるのか。
私にもわからない。

葬儀もしない
遺骨も引き取らない
もちろん墓もない
これを
『0(ぜろ)葬』というらしい。

弔いの形に正解もルールもない。
それぞれ遺された者の満足のいくように
すればいいことだ。

私は行きたいと思うから行く。
手を合わせたいと思うから墓に向かう。

そこに遺骨があるとかないとか、
墓石があるとかないとか、関係ないのかもしれない。


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ある友人の話。

49日法要のために
夫の実家の山里へ向かった。
いわゆる「納骨」という儀式を伴う日だ。

実家の裏山を少し昇った見晴らしの良いところに
「○○家の墓」というものが
ちゃんと存在している。
にもかかわらず、
喪服の親族一同が向かったのは、
広い野原だった。

そこには小さな「穴」が掘られていて
骨壺から骨だけを移して埋めたという。

墓標も杭も何もなく、
ただ、みんなで土をかけた。

少し離れたところにパイロンが立てられていて
そこにも穴が空いていた。

「次は○○さんところのおじいさんだね」

49日までの決まったある日、
地区の当番の男たちが、
こっそり穴を掘るらしい。

春にはね、
一面に白い花が咲いて
それはそれは綺麗になる。

知ってか知らずか、
どこかの家族連れが楽しそうに
ピクニックに来ていたりするのよ。





私も
そんな野原に埋めて
土に還してもらいたい。

風が吹いて
花が咲いて
誰も知らない
誰も手を合わせない
ただ、
だれかが笑っている、
ただ、
どこからか風が吹いている

それでいい








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